コラム(Hubble 酒井智也)
初めまして、株式会社Hubble取締役Chief Legal Officerで弁護士の酒井智也です。
今回は、「AI×契約」の領域に取り組む事業者の立場から、コラムを寄稿します。制度と技術の変化の先に何が問われるのかを、「信頼できるデータ」と「責任設計」の二つを軸に考えます。
制度と技術、両面で局面が変わった
国内では、当協会のこれまでの取り組みを経て、2026年8月に法務省が、ビジネス分野のAI等法務業務支援サービスと弁護士法第72条の関係に関するガイドラインを公表しました。ガバナンスとセットで提供するという前提が示され、制度の不確実性は後退し、関心は「使ってよいか」から「どう実装するか」へ移っています。
さらに海外でも、AI開発の最前線にいる経営者たちが、開発のペースそのものを問い直しました。9月12日、Anthropicのダリオ・アモデイCEOは、AIモデルの能力向上のペースを意図的に落とすべきだとする論考を公表しました。OpenAIのサム・アルトマンCEOは同日中に賛同し、論考が提案した安全策の一つ、第三者の評価者を社内に受け入れる取り組みに続く意向を示し、イーロン・マスク氏も賛意を表しました。正式な協定ではありませんが、競合する最前線の経営者が、開発速度の抑制という論点で公に足並みをそろえたことに意味があります。一方で、企業間の調整が独占禁止法上の問題を招くという懸念や、大手に有利に働くという批判もあり、実効性は今後の検証を要します。
技術の進化が、安全性とガバナンスの議論に引き寄せられ始めたことは、AIを業務に組み込む側にとって重要な示唆となります。国内の制度整備と海外の議論は、いずれも、能力の競争から、実装とガバナンスの質へと、問いが移りつつあることを示しています。
AIの競争は、実装の質に移った
この移行は、企業がAIから得る成果の源泉が、モデルの外にあることを意味します。課題はモデルの能力不足ではなく、何を参照させるかにある、と私たちは考えています。不適切なコンテキストを与えたAIは、使わない場合よりも悪い結果を生みかねません。AIの生産性は、モデル単体の賢さではなく、参照できるデータとコンテキストの信頼性で決まります。
契約の領域では、この傾向がとりわけ強く出ます。条文は取引の最終形にすぎません。審査や交渉の質を左右するのは、その条文に至った経緯、過去の判断、社内の基準といった周辺の文脈です。
契約データは「書類」から「取引関係の記録」へ
この周辺の文脈を扱えるかどうかは、契約データの設計で決まります。従来の契約管理は、契約書という書類の保管と審査を中心に設計され、法務部門の内側で完結しがちでした。しかし企業が本質的に把握したいのは、どの取引先と、どのような条件で、どのような関係にあるかを、継続的かつ網羅的に見渡せることです。契約書は、その取引関係を構成する要素の一つに位置づけ直されます。
この転換は、契約データの設計の起点を、契約書から取引関係へ移します。条文に加え、作成の過程、意思決定の背景、適用される社内基準、取引の実績を一体として扱います。AIに渡せる文脈の質が上がり、審査支援の精度だけでなく、後日の説明可能性も高まります。なぜその条件で合意したのかが残ることは、法務の説明責任を支える基盤になります。
契約データが取引関係の記録として整えば、その参照者は法務に限られなくなります。営業、経理、経営の判断が、同じデータを土台にします。競争の中心は、どれだけ信頼できるデータを、継続的かつ網羅的に保ち続けられるかに移ります。
責任設計:AIが実行し、人が判断する
データが整っても、AIに何を任せ、何を人が担うかが定まらなければ、実装は信頼を得られません。ガイドラインが示したガバナンスは、プロダクトの設計原則に落とし込んで初めて意味を持ちます。
責任設計とは、AIと人の間で、判断と責任をどう配分するかを定めることです。その要点は三つあります。第一に、判断の所在を定めることです。業務を工程に分け、AIが実行する領域と、人が判断する領域を明示し、法的判断と最終的な決裁は人に置きます。第二に、人へ戻す基準を持つことです。AIの確信度、金額、契約類型などが基準を超えた場合は、自動的に人の判断へ引き継ぎ、基準は事前に定義して運用の中で見直します。第三に、判断を記録し、監査できる形にすることです。どの主体が、どの基準に照らし、何を根拠に判断したかを、全工程で残します。
責任設計は、契約データの意味そのものを変えます。これまで契約データは、合意の結果を残す記録でした。これからは、なぜその判断に至ったか、誰がどの基準で責任を引き受けたかまでを含む、企業の意思決定の履歴になります。この履歴は、AIが参照する文脈であると同時に、説明責任を果たすための証跡でもあります。AI活用の目的は人の関与を減らすことではなく、人の判断を必要な箇所に集中させ、その判断を組織の資産として蓄積することにあります。判断の所在が設計されているからこそ、AIに実行を任せられるのです。
部門を越えて、成果で語る
実行を任せられる領域は、法務の外へも広がります。そのときAIエージェントの価値は、業務フローへの組み込みではなく、現場で起きている煩雑な業務をどれだけ解決したかで示されます。契約データが整えば、営業、経理、情報システム、人事など、法務以外の部門にも用途が広がります。契約業務のあらゆる場面に、実行を担うエージェントが入っていきます。
それに伴い、価値の測り方も変わります。機能の数ではなく、実務で使われている量と、顧客が得た成果で評価します。顧客の成功と事業者の成長が連動する構造を、事業者自身が引き受けることになります。
Hubbleの挑戦
以上の考え方は、弊社が日々取り組んでいる挑戦でもあります。弊社が提供するHubbleは、契約ライフサイクル管理(CLM)の機能を備えた契約データプラットフォームとして、大企業を中心に利用されており、継続率は99%に達しています。重視してきたのは、現場の使い勝手です。使われないシステムにデータは溜まりません。そこで、さまざまなシステムとの連携を可能にし、日々の業務の中で契約データが自然に蓄積される仕組みを整えてきました。この蓄積を土台に、AIが参照できる信頼できる契約基盤としての役割を果たしていきます。
結び:競争領域と協調領域の分岐
各社がそれぞれの形で基盤の構築に取り組むからこそ、ガイドライン後の市場では、競争する領域と協調する領域を、意識して分ける必要があります。データの設計、エージェントの品質、顧客に生む成果は、各社が競う領域であり、競争の結果その質を高めていく必要があります。他方、利用範囲の解釈、ガバナンスの水準、説明責任の枠組み、データ保護、そしてユーザーが事業者を見極めるための透明性は、協調して引き上げる領域です。この領域が薄ければ、一社の不祥事が市場全体への信頼を損ないます。
当協会は、リーガルテックサービスの信頼性向上と健全な市場形成を掲げ、その実現に向けて、会員各社が知見を持ち寄る場です。弊社も、AIと契約の最前線にいる一社として、完成を待たずに実装し、顧客を深く理解し、その過程で得た知見を還元していく責任があると考えます。事例でしか世の中は動きません。実装の事例とガバナンスの知見を積み上げ、日本の企業法務が安心してAIを活用できる環境を、共につくっていきます。
以上